彼がこの家に来たのは真冬の白雪がごおごおとこの国を蔓るとても、とても寒い日だった。
孤児だったらしい、棄迷児、というものらしいが、詳しくはわからない。
この家の頭の、私の父の白いセーターをちいさい体に羽織ってもこもこさせながら、ぎゅうとそれを握り締めながら私の目の前の椅子に座り縮こまっていた姿を覚えている。
鼻筋はスーっと通っていて鼻の先が少しツンとしている。こりゃあ将来美人さんになるなあっと思ったものだった。
でもやはり、孤児院という場所にいたからなのだろうか、私より6つ下の5歳6歳になろうものなのに、年相応の体の大きさではなくて、手足も長い、というよりひょろながいという印象だった。温かいものをなにか、食べさせてあげたい。
よろしくね、と私も寒さで凍えた声でいったけれど返ってくる言葉はなかった。(あとで一時的だが声がでない病気を患っていたと父から聞いた。)
父はなんだってこの子を連れてきたのだろう、不満などはなかったけれど子供心に不思議に思っていた。
瞳はいつか見たような、灰色の瞳だった。

父の手は大きくて、厚い皮が固くてあったかい、熱い手だった。
私はその手で撫ぜられるのが大好きだった。彼も好きだったのだろう、あの小さなドールから持ってきたような表情が崩れるのをはじめて見たときはびっくりしたものだった。
崩れるといってもきっと私みたいに彼をずっとみているような人にしかわからない変化だったのかもしれない。
大きいけれど少しきゅっと上がった目尻がふにゃふにゃと下がって、温度のないみたいな真っ白な雪みたいな頬もぽぽ、と少し色づくのだ。
それを我慢するみたいに口がむむっと噤まれるのだけれど。

彼は多分、本を読むことが好きだったのかもしれない。
多分、しれない、というのは彼にとっての暇つぶしが本を読むようなことくらいしかなかったこと、好きだったというのは読書をする彼の目が時偶輝いて見えたから。
彼は本を読むときその場で固定された模型のように動かない、ニス塗りされたみたいに潤った瞳と、頁をめくるためだけに動かされる腕と指の動きだけがその時、彼が生きていると確証させてくれる要因になるのだ。